56歳の誕生日に

今日で56歳になった。あっという間だった。 まだ若いつもりだった。でも現実は身体も精神もさすがにガタが来ている。

病んでいくのは、 経営者としてコロナの影響も大きかった気がする。
「やる気と努力があれば、他人が出来る事なら自分でも出来る」と思ってやってきた。 でも、この歳になり、体力も、精神も、集中力も、発想も、現実には出来ない事が多くなっている事に気が付く。

それでもここまで生きてこられた事に感謝する。 もしここで終わったとしても、自分の人生に悔いはほとんどない。

ベンチャー起業家として、自由に冒険もさせてもらった。 子供も成人を過ぎて既に社会に出た。
努力や投じた時間の割に、自分自身が満たされた内容は決して多くはない。
タワーマンションに住めた訳でもない。値段を見ないでメニューオーダーした事も一度も無い。 ベンツも買ったことない。ファーストクラスに乗ったことも無い。銀座を豪遊した事も無い。
それでも思い残す事はあまりない。別にどうでもいい。

夢(やりたい事)も追いかけていた
夢は簡単に届かない。だから夢。 その条件として、不安と恐怖を超えなければいけない。
常に、何かに追われていた。
常に不安も伴っていた。
見えない物を追いかける代わりに、見えない物から常に追われている。

事業を初めて25年以上、そんな「追いかけっこ」を続けてきた。 気が付けば、 既に私の人生の時間も峠を超えて終焉に向かっている。

今も、悩み苦しみの方が多いが、それでも何とか「生きている」からこその悩みだとも思う。 いずれ、嫌でも、全ての苦労や悩み事から解放される時は必ずやって来てしまう。
楽しい事も、苦しい事も、悲しい事も、嬉しい事も。全てが終わる時が来る。
その「いつか」という時は、未来に公平に、必ず誰にでもやって来る。
せっかく「生」を受けたのだから、その「いつか」という時が来る迄、もう少し頑張って「生きてみよう」と思う。

_/_/_/_/2023年の7月は大きな転換期になる_/_/_/_/

今の私は死ぬほど忙しい。 自業自得なのだが・・・

周知のとおり私は旅行会社やバス会社を経営している。 23年6月末までは全国旅行支援の恩恵を非常に受けた。
コロナ融資の借金はまだかなりの額が残っているが、それでもなんとか観光業として持ちこたえる事が出来た。 世の中に感謝している。

しかし、観光需要が戻っても、観光業を離職した人々は戻らない。 コロナ後3年も経てば、観光業に従事していた人も、既に新しい環境や職場に馴染んでいる。
全国旅行支援が終わる、23年7月からは当社にとっては正念場がやってくる。政府の支援は終わる。 自力での集客力や営業収支力が試される。もう、頼ったり、甘えは一切許されない。
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コロナ融資の返済は既に始まっている。 中小零細の経営者は一部知っているが、今回のコロナ融資での融資額は最大6,000万だったようだ。 政府と銀行間での暗黙の決定だと思う。
私は3社経営しているから、6,000×3社で1億8000万かといえば、それは違う。
保証人1人で6,000万という事。だから3社経営していてもトータル6000万が限界。
3社合計で、トータルで6,000万の融資額はなかなか厳しかった。でも、無いよりはいい。

問題は返済。。。。6,000万を最長10年で返済する。 年間600万。月間50万を返済に充てなければいけない。

大企業でも最終利益は10%にも満たない。中小零細なら5%がMAXだろう。

そう考えれば、毎月50万を返済するには、月間で1000万の売上増が必要になる。 アフターコロナの状況下で、コロナ前より年間で1億円以上の売上を増やす必要があるという事。
当社含めて、中小零細企業に「そんな事出来るのか?」という話だ・・・・ でもやるしかない。。。

多額の借金を返すには、既存の商品の売上増加では難しい。
融資を溶かしてしまったら返せないのは分かっていた。 融資を未来の投資に廻し、その利益で返済する。。。それしか活路はない。
そこで、この話は何度も書いているが、 当社はコロナ融資で、新しい事業を起こした。 「貸切バス事業」だ。

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自分でいうのも変だが、この発想は悪くない。

私はここで、大きな壁を迎える事になる。 今までの25年の自分の経営手法では対応できない事に気が付いた。
美容事業も、ゴルフ事業も、旅行業も、最初は自分一人でなんとかやってきた。
ゴルフ練習場開設時も、朝10時から深夜2時まで毎日店に行って対応した。 旅行会社に必要な国家資格も勉強して自分で取得した。
「1人でも乗り越えられる」と思い、様々な方法や手段でやってきた。

今回のバス事業も、自分でなんとかやるつもりだった・・・・ 専門の国家資格も取り、なんとか自分で出来ると思っていた。
実際は、今までのやり方は通用しない程、激務だった。 勿論、スタッフの力も借りた。しかしそれでも廻らない。
申し訳ないと思っているが、過酷な状況で、信頼できるスタッフを壊してしまった。
その結果、自分にもしわ寄せが来てしまった。
1人や個人で出来る事業ではない。
1人でなんとかなるレベルではなかった・・・ 最初から、人数と組織が必要な事業だったのだ。

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経営者は本来、現場に入ってはいけない。 「うちの社長は、何処にいるのか?」「何をやっているのかわからない?」「毎日銀座で飲んでいる」。。 と従業員がボヤく会社がある。
毎日、ゴルフに行くのが正しいとは言わないが、現場で経理や事務や営業をやるより100倍ましだと思う。
経営者の仕事は、緊急時の対応と、会社を大きくする事。 それが経営者本来の業務なのだ。

現場で社長自身が、経理や営業を時間を惜しんで働いてる会社は、勤勉で美徳に見えるが、違う。
会社に伸びしろが全くない。 プレーヤーはあくまでも現場の仕事で、社長の仕事ではない。 社長がプレーヤーになっていたら、会社を大きくする余裕なんて無い。

今の私は、まさにそのダメな経営者状態。
それでも 人がいなければ、社長自ら現場に入りやるしかない。

社長の仕事は、事業が円滑に廻る組織を作る事。 私は、組織の構築を間違っていたという事だ。


_/_/_/_/人を雇えば解決するのか?_/_/_/_/

確かにそうかもしれない
高額でも構わないので、人を雇えば、経営者は現場の作業から解放される。
でも・・・・・
経営者は万が一に備えて銀行の融資枠を残して経営する。
コロナ融資で状況が変わった。 銀行はもう1円も融資を貸してくれない。
当然だ。会社の融資枠は一杯に使ってしまった。
コロナ融資を返済し無い限り、緊急の融資枠は戻らない・・・

コロナ前にあった、銀行の与信枠や猶予は全て使い果たして無くなった。中小零細企業にとって、 もし、過剰に人を雇い、キャッシュが廻らなけば、その時点で会社はGAMEOVERになる。
分かりやすく言えば、「追加融資は受けられない。」7月以降は赤字にしたら経営が終わるという事だ。
これは、当社だけではない。 コロナ融資を借りた全企業に言える事でもある。
好景気で本当に景気が良いのは大企業のみ
中小零細企業は正念場になっている。
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今、私も含めてコロナ融資を借りた経営者の多くには、もの凄いプレッシャーが掛かっている。
過剰な人材投資で赤字になったらそこで終了。 会社運営を赤字にしたら、銀行は対応してくれない。延命策はほぼないに等しい。 それでも売上を上げるためにマンパワー増強は不可欠。
人経費を多くかける?それとも自ら死ぬほど働く?どうする?

嫌なループに入っている。

_/_/_/_/それでも見通しは暗い訳ではない・・_/_/_/_/

貸切バス事業は、もの凄く大変な事業だ。
考えてみれば当たり前で、 安全の担保や、ドライバーの確保、運行管理者の常備など、法律の規定はもの凄く厳しい。 毎日の事務処理だけで、倒れそうになる。
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それでも、勝負をして2年前に設立した事は間違いではなかったと感じる。

全国旅行支援で自社バスを使う事ができた。 旅行会社としても他社のバス会社へ業務委託しないので、当社内の利益率が一気に上がった。
コロナ当時、貸切バス会社の廃業は一気に増えた。 車輛も運転手も会社も減った。
しかし現在、リベンジ観光消費で、貸切バスの需要はコロナ前以上になってきている。 需要が供給を超えてきている。
新設の当社でもチャンスは大きいという事だ。

この貸切バス事業の新設で、借金の返済の見通しは見えて来る。 以前のように旅行会社だけであれば、コロナ融資を返せるほど売上と利益が上がったかはわからない。 先述しているとおり、売上・利益ともに前年度並では、借金は返せないのだから・・・
経営者として大変だとしても、会社の未来や希望があるだけでも、私は恵まれている経営者かもしれない。

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しかしながら、 貸切バスの経営者としてだけでなく、運行管理者としての確実な運行や、安全の担保、車輛の保全、運転手の健康や勤務管理など、 業務も負担も責任も一気に増えてしまったのも事実。
今までの数字だけ考えれば良かった経営者としてのプレッシャーから、 今では通常業務や現場業務で、その3倍近いストレスがある事に気が付いた。
経営以外の業務のプレッシャーで疲労度が日々増していく。

今は、自分の健康と、精神と、体力の正念場になっている。 この場を借りて吐露してしまったが。情けない事実なのだ・・・

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でももう少し頑張ってみようと自分に喝を入れる。 全ての事業を必ず形にしてみせる。
夢や目標に向かうのが経営者の仕事。 ここで負ける訳にはいかない。
それが25年やってきた経営者としての最後のプライド。
出来なくなった事も多くなってきた56歳でも、 空回りしながら、歯ぎしりしながら、まだ戦える気力だけは残っている。

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2023年6月20日付

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