想い・・

彼女との出会いは15年前だった。

私はネイルサロンやエステサロンをイトーヨーカドーで展開していたが、当社の権利を使い イトーヨーカドーにテナント(店舗)を入れる仕事もしていた。

消費者にとって面白い・興味深いテナントをヨーカドーの1Fの目立つ場所に出店させる。 IYに対して面白いコンテンツを入れる事で、自社や私自身のアピールにも繋げていた。

振動する機械の上に乗っているだけでダイエット効果があるという「ブルブルフィットネス」が流行っていた。 福岡にそのサロンを展開している会社があった。
ヨーカドーは私を介してその会社と提携し、数店舗を展開する事になった。 拝島店が1号店だ。そこの店長をしていたのが彼女だった・・・

フィットネス事業は当たれば大きいが、長くは続かず一過性の要素が強い。
このお店も1年目は順調だったが、2年目から下降線を辿る事になった。 福岡の会社は従業員が退職しても、売上が減少を続ける店舗に新規の人員を補充する事はしなかった。 私は各店舗を巡回しながら、ある事に気が付いた。

昨日拝島店にいた店長が、今日は洋光台(横浜)にいる?
彼女に聞いてみた・・
<こっちの店舗に移ったの?>
「違います。出勤するスタッフがいないので今日は私が出ています」
<拝島店は?>
「明日と明後日行きます。その後は洋光台に入り、拝島へまた戻ります」
<いつ休むの?>
「しばらくは休めません」
<会社はスタッフ補充してくれないの?>
「しないようです」
<なんでそんなに貴方が出勤しなくちゃいけないの?>
「店舗営業に穴をあけると、お客様を裏切る事になりますし、ヨーカドーと日向さんにも迷惑が掛かります」
<雇われ店長の貴方が、そこまでしなくてもいいんじゃないの?>
「会社が対応しないから、私がやるしかないんです!」

結局、彼女は3か月間1日も休むことはなかった。片道2時間かけて洋光台にも通い続けた。


お客様を想い、現場の同僚を想い、関係者を想い、取引先を想う。
その結果が自己犠牲となった。
薄給にもかかわらず、社会的な責任感が彼女をそうさせたのだと思った。
今の時代、決してこのような働き方が、美徳と思わない人もいるだろう。
はっきり言える事は、 「誰かに迷惑がかかるなら自分自身で対応する」という彼女のプロフェッショナルとしてのプライドを見た。

それから数か月後にIYから同店舗が全店撤収となった。

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それから2年後に私は新宿にゴルフ練習場を作る事になった。
全身全霊を賭けて大きな借金までして勝負する。私の最後の想いを詰めた新しいゴルフ練習場。
営業時間は9:00~2:00
深夜まで営業をしたのは、夜で閉店しても、深夜までやっても家賃は同じだから。 新宿・歌舞伎町も近くにあるので、飲み屋のアフターにお客が来るとも思った。
当然、私だけで店は廻らない。 お店を任せるのは1人しか思い浮かばない。
私は彼女に声をかけた。
<今何にしているの?数か月後に私のお店がOPENするんだけど手伝ってくれない?>
「今歯医者に勤めてますが、日向さんのオファー喜んで行かせて頂きます」
と言ってくれた。

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練習場はOPENしたけど、お客が入らない。

待っていてもお客は来ない。資金は枯渇するので私は他の仕事もしなくてはならない。 昼間は彼女に店を任せて、私が営業で外を飛び回る。
21:00に店へ戻ると、勤務を彼女と入れ替わり、深夜2:00まで私が店番をする。
そんな事を繰り返していた

お客が一人もいない店を見ながら私は思った。
<このビジネスは失敗だったのか?>
心も身体も疲れていた。 泣きたい気持ちを抑えていた。
そして彼女に呟いた。
<ごめんね。暇な店で。貴方はゴルフやらないし、やること無くてつまらないでしょ?>
「そんなことは全く無いですよ。ここは誰もやった事の無い事をやってるんですよ。大きな夢があるじゃない!私は楽しくて仕方がない!」
私の今の気持ちを全て見越したような言葉だった・・・

彼女が帰宅した後、深夜1:00にお客が誰もいない店舗で1人泣き続けた。
不安だったのか・悲しかったのか・嬉しかったのか・希望が湧いたのか、よく分からなかった。

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2人で店番をしていると、よく夫婦と間違えられた。
彼女は私より少し年上だった。
早くして結婚しているので孫も生まれていた。
私にとって彼女は母でもあり、妻の様な存在でもあった。
でも一番相応しい言葉は、戦友という表現だと思う。
男と女が2人で勤務しているのに、お互いに恋愛感情は一切なかった。
そこにあるのは「何としてでもこのお店を成功させよう」という共通の思いだった。

ある日、いつものように21時にお店に続く階段を上がっていると、彼女が店から飛び出てきた。
「社長!!大変!大変!」
<どうしたの?>
「今日お客さんが10名も来たのよ!!!!」
私は、<10時間も営業してたった10名かよ・・・>と思ったが、
それでも彼女の満面の笑顔で、なんとなくその日が嬉しかった事を覚えている。
未来が見えない不安を、彼女が励まし続けてくれた。

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彼女は自分に厳しい人だった。
同時に他人にも厳しかった。
曲がった事が嫌いだった。 ファジーな事はしない。いつも白か黒か。
だから私とも何回かぶつかった。

後から入ったスタッフにも容赦しない。
時としてお客ともトラブルが多かった。

それは全て彼女が考えるお店の為だった。 お店に対する想いは私よりも強かった。
そして誰よりもこのお店を愛していた。

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店舗が軌道に乗り始めた頃、彼女が突然病魔に侵された。
手術を繰り返しリハビリを続けた。
一時は勤務に戻ったが、それも長くは続かない。 再度、療養に入る。

繰り返し入退院を続けるが、病状は良くはならない・・・

いつでも戻ってこれるように彼女のロッカーはそのままにしておいた。
その話をしたら、彼女は喜んでくれた。
「必ず戻りますから、そのままにしておいて下さいね」 そう言っていた。

ある日、彼女から連絡を貰った。
「入院している病院で動けなくなった」と。
下半身が自由にならないらしい。 スタッフ数人とお見舞いに行った。

病室で寝ている彼女は元気で明るかった。
ベッドに寝て、動けないだけで、会話や仕草はお店に勤めている時と何も変わらない。
冷蔵庫にある物を食べろと勧めてくれた。
皆で<また来るよ>と言って別れた。

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次に彼女に会ったのは数ヶ月後だった。 ひとりで遠くに行ってしまった後だった。
私は結局「さよなら」も「ありがとう」も彼女に言う事が出来なかった。

きっと彼女は全てを悟っていた。
もうお店を見る事も、行く事も不可能な事。
だから店舗のスタッフと会い 、自分が店舗にいたときと同じ元気な姿を最後に見せたかったのだと。

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コロナ禍で世の中は大変な状況だ。
どんな商売もお店も、未来が見えずに不安や苦労が尽きない。

当然私の各種ビジネスも楽な状況ではない。
しかしこのお店(練習場)だけは、不思議な事にコロナ前の状態に戻っている。

彼女はもういないけれど、このお店の存在は、彼女が生きていた証でもある。
いつもどおり、階段を上がり店に入ると、今日も多くのお客様とスタッフがいてくれている。
13年前のガラガラの店内で、私達が理想としていた光景がここに拡がっている。
彼女が愛していたこのお店には、今でも彼女の想いが届いている。
そんな気がしてならない。



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2020年12月14日付

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